天狗と文化


【天狗道と仏教】
天狗でも大物になると権現や仏菩薩として、その山の護法天狗として祭祀される場合が多く
山中での魔界感や天狗思想が、次第に修験道や山岳宗教などと結びつき
その守護神として姿も修験者を模倣していきました。 
特に室町時代以降は、霊山や有力な修験者集団のいる山岳では、崇拝心を高めるため、
天狗達に、名前がついていきます。有名どころとしては 日本八天狗と呼ばれる面々です。
しかし天狗が、仏教が広まる過程で僧や人々の敵として描かれていくと共に、
現在の妖怪としての姿が定着していき 時代とともに話が誇張され
天狗が強力な神通力があると言う表現が多くなってきました。
しかしそれは、高僧は「仏教」を修法しているため強い天狗をも倒す事ができると言う
ある種の宣伝を狙ったものだったのかのしれない。
その効果は、現在日本の各家庭での浸透ぶりが物語っている。
また過去の文献などを見ると仏教が天狗という存在をどう捉えていたかを見る事ができる。

天狗に関する文献の中で「源平盛衰記」の文面に
後白河院が、園城寺(三井寺)にて灌頂を受けようとした時
延暦寺の僧が、二度に渡り妨害をした。
確かにこの頃 延暦寺と園城寺は熾烈な権力争いをしていたから起こったものとされた。
だが「住吉の神」が言うには「今延暦寺の僧に全国の天魔が取り付き灌頂の邪魔をしているのだ」と告げた。
後白河院は、邪魔をしている「天魔」とは一体なにかと尋ねると
天魔とは天狗であり 道心のなき知恵者が死ぬと天狗道に落ちる」と告げた

もうひとつ天狗話として【仁和寺の天狗評定】という話がある。
時代は、南北朝の頃 大阪四条畷の戦いにて 
南朝の忠臣楠正行(まさつら)が高師直(こうのもろなお)に討たれた年に
ある禅僧が京都の仁和寺の六本杉で月の出始めた頃 休憩を取っていると
その杉の上にてなにやら声が聞こえる よくよく見上げてみると
足利直義に、暗殺された「大塔宮護良親王」後醍醐天皇の外戚「峰僧正」奈良の「智教上人」
浄土寺の「忠円僧正」らが烏天狗の姿で酒盛りしながら相談していた。
「北条家が滅びた間もなく尊氏の反逆により権力を奪われた。
天下が混乱しておるのに奢り高ぶっている足利家に一泡ふかすには・・・」と峰僧正
「良い方法が思いつきました。」と忠円僧正が進み出た。
「尊氏の弟の直義の奥方に親王が宿り男子として生まれる。」
「次に夢窓国師の弟子に峰僧正が取り付き政道に口をはさませる。」
「智教上人は、上杉・畠山直宗に取り付き 忠円僧正は、師直、師泰に取り付き お互い争わせる。」
「そうすれば尊氏・直義兄弟は、必ず争い始めるでしょう。」と言った
その後「観応の擾乱」として、この計画は起こるのである。
結果として直義と師直が不仲になり師直一族は滅亡し 4年後尊氏は直義を鎌倉にて暗殺(毒殺)した。


仏教側での天狗とは、自分の片寄った考えにとらわれて、
他人の意見を聞き入れようとしないモノ
(傲慢偏執)とあり
佛法を信仰しない者や佛道に志もあり知恵行徳をもちながら、
邪心により真実の知恵が働かず、悟りが開けない者など
これらはすべて天狗道に、落ちるとされている。
つまり佛法修業者でありながら驕りたかぶる者や他の信仰を修めんとする者は、
すべて道理が通らない天狗道に落ちると言う事なのである。
つまり天狗道とは、仏教側から見れば一切の救済がない 最も哀れな世界
天上界に登る事も地獄界に落ちる事もできないと言う世界なのであると説いている。

しかし天狗から言わせれば仏教などによる束縛がなく欲望や自由な行動が取れる世界と言う
だが幕末期の混乱期現れた神仙界や天狗道を行き来したと言われる「宮地水位」はこう言う。
「天狗界には、入らぬ事が真の人の道である 天狗界に入るのはたしかに自由であるが
その自由より倍の苦行が、待っているのだ。 その苦行を見るたび身の毛もよだつ様が浮かぶ。
天狗界の呪力を欲しがる人がいるが、この世界には立ち入らぬ事が肝要であり
やはり人の道が、一番極楽に近い道である。」
と書き残している。


【天狗の種類と階級】
天狗の世界にも、いろいろと種類とか階級などがあるそうで
昔の文献によると 
宮天狗、海天狗、川天狗、
道天狗、辻天狗、屋根天狗
富士天狗、朝日天狗、夕日天狗、

などの種類があったそうです。
また階級には、大天狗、中天狗、
木の葉天狗、カラス天狗、白狼(はくろう)天狗
最後が溝越(みぞこし)天狗。
だそうです。
溝落ち天狗とは、神通力が未熟で空を飛ぶのが不得意なので
溝を越えるのがやっとであるが、たまに溝に落ちるという
落ちこぼれだそうだ。
他にも、歳をとった狼が天狗になるとの文書も存在します。


【八大天狗のあらまし】
【愛宕山太郎坊】
京都の愛宕山に住み、いざなぎの神を祀る全国の愛宕神社を守護する。
別名「栄術太郎」とも言う
約3000年前に仏の命により大魔王となりこの任についたとされる。
愛宕山には、太郎坊の配下として 「火乱坊、三密坊、光林坊、天南坊、普賢坊、
歓喜坊、東金坊」
の八天狗が居る。
八天狗の筆頭で全国愛宕社約800社に祭られており、
その前身は聖徳太子の恩師・日羅だともいわれている。

【比良山次郎坊 】
元々は愛宕山太郎坊と並ぶ大天狗
滋賀と京都の県境の比叡山(延暦寺の壮健前)の大天狗であったが
延暦寺創建され僧侶達の験力が増すつれ占領されてしまったため、
その時に一部の部下を連れ比良山に移り住んだと言われる
今昔物語では、乱暴者として書かれている。

【飯綱三郎 】
長野県飯綱山の天狗嶽に住むと言われる大天狗。
静岡県の秋葉山、東京の高尾山、
群馬県の迦葉(かしょう)山などの飯縄系天狗の総元締め
足利時代に千日太夫が苦行の末編み出した「飯綱の法」の行者たちが
この天狗の本拠地で修行を積んだ。

【鞍馬山僧正坊】
和気清麻呂の末裔で真如法親王の弟壱演僧正ではないかという説がある。
皇太后の病の平癒祈願などで権僧正になったが、
突然鞍馬山の僧正ヶ谷へ庵を結び幽棲した。
867年一人沖を目指し帰らぬ人となるが、人々は、その法力の高さから
鞍馬山僧正坊に、成られたと噂した。

【大山伯耆坊】
元々は伯耆大山(ほうきだいせん)(今の鳥取県)の大天狗であったが、
相模大山の相模坊が四国の白峯に行ってしまった事と
元の住処である伯耆大山(たいせん)の大山寺が、派閥争いのため炎上
その荒廃ぶりにあきれ今の相模大山へ移り住んだと言う
その後頂上に祠が出来て、富士講行者たちに信仰されたという。

【彦山豊前坊】
九州の英彦山(ひこさん)に住む天狗の大元締め。
天津日子忍骨命の霊が天下ったもので役行者がこの山で修行で訪れた時
少年の姿で大願を称賛しまた夜叉となって忿怒の姿で出現したとされている。
その後から、日夜山が鳴り響いたと伝わる。

【大峯前鬼坊・後鬼坊】
役行者に従って後鬼ととも夫婦で大峰山中を歩き回り、
その身の回りの警護その他を務め
役小角が、没した後は麓の里に住み着き大峰山系を守護したと言う
いまでも大峰山の麓には前鬼の里が現存する。

【白峯相模坊】
崇徳上皇が讃岐の国で憤死した時、その霊前にて
怨念をお慰めする為に相模大山から白峯に移って来た天狗
現在も、白峰山の聖域を守護し続けている。
かつて神奈川県の大山に君臨した大行者



【その他の有名な天狗】

【羽黒山三光坊】
出羽修験の聖地に住み修験者や山々を守護する天狗たちを統括する
羽黒の験力の優れた修験者とも地主神とも言われるが
出羽山を開山した蜂子皇子が、一番有力である。
ちなみに蜂子皇子は、聖徳太子の従兄弟にあたる。

【秋葉山三尺坊】
もともと信州の出で戸隠山で修行し越後の三尺坊にて、生きながら天狗となった。
そしてどこからともなく現れた白狐に乗り定住の地を探していた所
遠州秋葉山にたどり着いた。
秋葉寺では、火の神として祀られ「火事を防いでくれる」と評判である
だが、未だこの地では怪奇現象が今でも見られる。

【富士陀羅尼坊】
日本で一番高い山 富士山に住む天狗
登山者を守護すると同時に行為を監視すると言う。
別名「富士太郎」とも言われる
役小角が富士山での修行を行った時 いろんな場面において助けた。
富士で行ずる行者や修験者達は、護山・護法の神として祀っている。

【富士小御岳正真坊】
富士山の天狗として有名な陀羅尼坊が南側を主に担当していたが
富士の北側を担当していたのが、この小御岳正真坊なのである。
だが現在富士では天狗の姿を見る事があまりないので
これ以上の情報がないのが少しさみしい。

【鞍馬山護法魔王尊】
鞍馬山の本尊「毘沙門天」が天狗に変化した姿
八大天狗の「鞍馬天狗」も仕えた格の高い天狗
一説によると650万年前衆生を救済するため金星から舞い降りた宇宙人とも
地下都市シャンバラに住む、人類の救世主「サナート・クマラ」とも言われている。
鞍馬山の奥の院「魔王堂」に祀られている。

【象頭山金剛坊】
元は、象頭山金光院の院主実盛上人が修行中山中にて験力にふれ
そのまま天狗と化したと言われ 上人は、象頭山を守護する請願をたてた。
かの有名な金毘羅宮は、この山にあることからお参りに来る信者達の
道中安全にこれるよう守護していた。
また象頭山近辺の村では、「悪い子供は、八つ裂きにされる」と伝えられる恐ろしい面も持つ。

【加波山石切大神】
天狗小僧と言われた仙道寅吉が、筑波山系に最も多く天狗が住む加波山の中で
一番有名な天狗が石切大神である。
岩の塊を押し分け切り刻む霊力を持つと言われる。
加波山の奥、燕嶽の祠に祀られている。

【加波山天中坊】
石切大神と供に、修験道の山として有名な加波山の修行者を守護していたと言われる
48の天狗のうちの一人。

【最乗寺道了尊】
元々は近江の園城寺の名の有る行者だったが、師匠である了庵禅師が
箱根に最乗寺を開山すると聞き 大雄山を守護する請願を立て
その場で天狗に変じて神通力で建設を手伝った。
姿は、鼻高・赤顔ではなく茶吉尼天であることから飯縄三郎と関係があるとされてます。
その後師匠がなくなると永遠に寺を守護するべく明星ヶ岳に飛び去ったと言う

【奥山半僧坊】
遠州の方広寺を創建した元選禅師の従者
禅師の死後もその墓を護るほど一生涯禅師に尽くし その志を組んで禅師の傍らに埋葬された
なぜか仏門には入らず反俗半僧だったため天狗ではないかと言われた。
明治の初め頃 寺が火事になったが墓の手前で鎮火したと言う不思議な事が記録されている。

【水天狗円光坊】
天狗の中で唯一「水天狗」と呼ばれた
羽黒山三光坊の眷属として羽黒山へ参拝する人々が乗る最上川の船便を守護した
また三光坊の護法天狗でもある。

【比叡山法性坊】
比叡山13代目座主 法性坊尊意が尸解仙から天狗となった姿
平安時代、旱魃に雨を降らせたり 大雨などは、止雨したり
疾病を取り除いたりなどの奇跡を起こした有名な高僧であった。
不思議な事に埋葬の時、装束だけが残り体が見つからなかったという伝説がある。

【白峰大僧正】
福井県の白山(白峰)を支配する大天狗 
その正体は、白山を開山した泰澄上人とされている。
弟子の浄定も、正法坊と名乗り白山に住む多数の天狗たちを統括していると言われている。

【石鎚山法起坊】
標高1982メートルと西日本随一の高峰である石鎚山は、西冠山・弥岳・天狗岳の3峰からなり
役小角が、蔵王権現を祀り修験の行場として開山したとされる。
この山にも数万騎の天狗が住んでおりその棟梁として法起坊と言う大天狗が山の守護をしている。
その験力の強さから役小角の化身ではないかと言われている。

【御嶽山六尺坊】
行場の中でもっとも登山が困難とされた御嶽山に住み天狗たちを統括していたのが
六尺坊と呼ばれる大天狗である。

【高野山高林坊】
空海が、唐の国で投げた三鈷杵が落ちた聖地を探していた時
その場所まで案内したと言われる大天狗
元は、以前からこの地を守護していた狩場地神ではないかと言われている。
高野山には、天狗山・天狗木・天狗岩など天狗が多く居たと思われるものが沢山あります。

【弁天岳妙音坊】
空海が、如意珠を埋め宝瓶を安置して天女を勧請したと言われる高野山にある弁天岳を守護する
山頂には、岳弁財天社が祀られている。

【黒眷属金毘羅坊】
四国の象頭山に住む大天狗 金毘羅宮の信者を守護し参拝者の道中安全を請け負っていた。
江戸時代の剣客「神城騰雲」を天狗界に誘った天狗「趣海坊」は、金毘羅坊の部下である。

【立山縄乗坊】
立山に住む数千の天狗たちをまとめその上に君臨する大天狗
部下に権現坊を筆頭とした11人の天狗がいる

【立山光蔵坊】
越中の智妙坊が悪心のため檀家衆を立山に案内している途中 牛にされ彷徨っている時
泰澄大師に懺悔改心を誓い救済され光蔵坊という名をもらい
天狗となり天狗山に長期にわたり住んだと言われている。
現在でも、光蔵坊のものとされる爪が立山雄山神社に残っている

【妙義山日光坊】
元々日光男体山に住んでいた天狗 東照宮造営後今の妙義山へ移り住んだ。
東照宮を造営した時に、超人的な力を持っていたとされる慈眼大師天海の呪法(大元帥法?)に
住み難くなったのかもしれない。

【長清法印】
妙義山の西側の峰に住むといわれる天狗
敵方に討たれた父親の敵を討つため金洞山を開山し苦行を積み神通力を手に入れ
本願を遂げたが、同時に世間へのむなしさを感じ仏道に入門
再び金洞山にもどり岩高寺を創建した。
法印は、たくましい体を持ち怪力で敏捷性にすぐれ顔色はいつもほの赤く
鉄の下駄を履き鉄の杖を持って山中を徘徊したと言う

【日光山東光坊】
日光男体山に住む徳川家康の化身と言われる天狗
家康没後神号として「東光権現」と付けられる予定だった理由からだそうだ。
現在は天海僧正の意見で「東照権現」となってる。
新参者の天狗だったため日光の古参天狗を抑えられずにいたので
文政8年将軍家斉日光参拝の折古峯原の隼人坊天狗の名を借りて
剣が岳に「参拝の間他の山へ行ってくれ」と札を上げたという記録が残っている。

【古峯原隼人坊】
古くから日光の裏にあたる修行場として栄えた古峯原を統括する天狗
日光の東光坊が手におえなかった古株の天狗たちも、
隼人坊の名を聞くだけでおとなしくなったとされる大天狗である。
古峯神社は、昔天狗の宿と言われたほど天狗信仰が盛んであったが
山の神である「大山祇命」から「日本武尊」へ祭神が変わり
あまり天狗信仰を、表に出していないが未だ天狗にあやかろうと参拝する人は絶えない。

【赤城山杉ノ坊】
赤城山に住む天狗たちの棟梁 
「赤城秘文」によると、長楽寺の僧「法照禅師」が赤城山へ登ったとき
一人の行者が、出迎えた 彼は30年以上も山腹に篭り神通力を得て赤城山の天狗と暮らしていた。
行者は、禅師の弟子となり「了儒」と名乗った 人々は行者の事を神の如く敬ったとされる。
これから推測されるに杉ノ坊は、了儒行者ではないかとされる。
和歌山にある宝燈寺は、杉ノ坊一派により一晩で造ったと言われている。

【迦葉山中峰尊者】
中世に最乗寺の傘下として復興させた天巽慶順師の弟子
中峰は、師の言う事には従順で特別な才能(超能力?)があり
酒が好きな師のために飛ぶが如く人里に下り買って来たと言われ
師が他界した後は、寺を護るため自ら天狗となり護法として今も寺を護り続けている。
ちなみに中峰は、道了尊の弟分で高尾山・古峰ヶ原の天狗とも兄弟分でもあるらしい。

【建長寺半僧坊】
方広寺より建長寺の鎮守にと、明治22年に勧請された奥山半僧坊と同じ天狗
本家の方広寺より建長寺の方が天狗像などがある

【茨城愛宕山杉山僧正】
天狗小僧で有名な仙道寅吉の師にあたる天狗。
神道系の天狗で仏教の高僧を嫌っている
相当の験力の持ち主で、寅吉と現世と天狗界を行き来し天狗界の呪術を教える
配下に13人の天狗が居て そのうち4人は神仙と呼ばれる山人である。

【吉野皆杉小桜坊】
吉野山とそこで修行する修験者を守護を担うとされる天狗
別名 秋葉大権現とも言われている

【弥山三鬼】
広島の厳島神社がある宮島の弥山を守護する天狗
三鬼とは、時眉鬼・追帳鬼・魔羅鬼の事を指し
元々は、インドより伝わる鬼神だった。

【高尾山三郎坊】
飯縄三郎の分家に当たる 茶吉尼天系天狗である
迦葉山・古峰ヶ原・道了尊などと飯縄系天狗の兄弟分であり
顔は嘴(くちばし)がついており背中に炎を背負い翼を広げて
手にそれぞれ宝剣と策縄を持ち白虎に跨ったカラス天狗の姿をしている。
山の中興の祖俊源が、修行で疲れ眠った夢に出て山に祀れとお告げしたと伝わる。

【鳥取大山清光坊】

【甲斐駒ケ岳刀利天狗】

【三徳山日中坊】

【榛名山満行坊】

【大杉神社常陸坊海尊】
鞍馬山で修行した牛若丸こと源義経の家臣 常陸坊海尊が、社僧として務めていたため
海尊が、天狗と化したと伝わっている。
伝説によると杉の巨木に神が降り立ち霞ヶ浦の水難者を救済したといわれ
河川や海の漁師たちに大きく信仰されるようになった。

【是害坊】
日本の高僧と法力合戦をするため愛宕山太郎坊を訪ねてやってきた唐の天狗
太郎坊の案内で比叡山の高僧たちに挑戦したがこてんぱんにやられて
必死の思いで唐に逃げ帰った。





情報が入り次第更新いたします。

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