天狗のルーツ

天狗のルーツ


【天狗と天変地異】
天狗という言葉は、天竺では「流星」をさす言葉として用いられていた経緯から
中国などで、漢訳されたとき 「天狗(あまきつね)」の字が当てられた。
各種の書物には、天狗の表現があるものの地上に災難を及ぼす 自然現象として認識されていたようだ。
特に中国の山海経には、「天狗(てんこう)」 と読む翼を持つ狐らしき動物として登場しており
他にも、猿や鳥のような姿として語りつがれている事から
現在の人間のような姿の、伝説はほとんど無かったそうだ。

日本でも日本書紀の記述で
舒明天皇の時代 9年に大きな流星が都の東から西に流れ、
雷に似た音がしたのを 中国よりの留学僧「旻(ミン)」が
「流星ニ非ズ、是レ天狗(あまきつね)ナリ、ソノ吼エユル声、雷ニ似タルノミ」
(あれは流星ではなく天狗だ)と言ったという記録が残っており、
これが天狗が文献に初めて出てきたものであるとされている。
この舒明天皇9年という時期は不安定な政局とあいまって旱魃があり日食がありと、
色々な天変地異が起きており、そういった怪異のひとつとして天狗が登場している
「金星」や「流星」などに関わりのもつモノとして位置付けられていることから
まだこの頃は、日本でも天狗は自然現象として捉えられていたようである。

それでは、なぜ天狗は流星や金星と結びついたのか。
共通点として「流星」も「金星」も不吉なモノの象徴だったと言う事である。
「流星」は、古代人にとって非常に恐ろしげな存在だったのだろう。
それを神格化した形が、現在の流星にお願いすると叶う という形で残ったのかも知れない。
金星は、「刃物」「剣」などの武器を連想させ 陰陽道でもっとも不吉な星「大将軍」として、
「方違え」「方忌み」が行われるほどの凶方である。
それが、争い事を好むとされた「天狗」のイメージに合致したのではないだろうか。

【宗教側から見た天狗】
現在の天狗の姿のモデルは、日本神話に登場する「サルタヒコ神」 であると言う説がある
サルタヒコ神は、天孫降臨の際 先導すべく出迎えた国津神であり
特徴として 高鼻で赤ら顔、目は鏡のごとく光を放ち
身長も七尺と高く 修験者のような服装を各地の道の神様として祀られている
今の天狗の姿に、かなり近いのではないだろうか。

また他説として 仏教の教えの中で、頭と嘴が鳥、翼と爪は赤く、
黄金色に輝く人間の体を持ち空を飛び衆生を救済する
「カルラ天」が、伝説や信仰により
天狗と変化していき語り継がれてきたのではないかと言われている。

(カルラ天(迦楼羅)とは、 別名 金翅鳥(こんじちょう)やガルーダとも言われ
日に龍を5000匹食べるらしく 通常の龍では、到底叶う相手ではない
かろうじて 仏教に帰依した八大竜王のみが難を逃れる事が出来ると伝わる。
蛇除けの神様として信仰されている地域もある。)


奈良時代に聖徳太子が命じて書した「先代旧事本紀大成経」には
天狗とは、須佐之男命の 猛気が満ち溢れ吐しゃ物として出てきたもので
その天狗は、女神なのに非常に荒ぶる神だったようで、
その子供である天魔雄命は、天地の間の悪神の長を務めた。
後々の書物に天魔雄命が日本の天狗の祖で、後世天狗となった者たちはみな眷属であると書かれている。

また平安時代の僧「景戒」が書した「日本霊異記」 の中の天狗の説話を読むと
山に分け入り松の葉を食し呪力を得て空を飛び、海上を渡り眷属を使役した
修験道の開祖「役小角」の姿が後々の 天狗の様相である事に気づくのである。
たしかに天狗伝説のある霊山のほとんどが、役小角 により開山されている事実があり
そんな時代背景から山々の不可思議な霊力に憧れて、身に付けようとする人々が徐々に増え
「修験道」が、国中に広がっていく事になる。

天狗という妖怪は、日本古来の山岳宗教台密と東密(天台密教と真言密教)と深い繋がりが見られる。
修験者が、深山幽谷にて過酷な難行苦行に耐え 山の霊気と一体になり
神通力(超能力)や呪力、霊力を体得しその山の聖者となり 
やがて彼らは、山に対する神秘感や畏怖感によって 里に住む人々から
「天狗」と言う名の として祀られる事となったのではないだろうか。
里人にとって彼らは、病気などがあれば「祈祷」や「薬」を作ってくれる存在であり
神様として認識されてもおかしくはなかったと思われる。
そのような理由から山中に出没する「天狗」と「修験者」が重なって見え 
現在のような修験者姿となったのではないか。

九州地方では山伏のことをヒコサンとかテングとも呼ぶ習わしがあるのも、うなづける。
と言っても 現在の姿になったのは室町時代以降で それまでは背中に翼があり
「嘴(くちばし)」がついておる人のようであったと言うから
どちらかと言えば「カラス天狗」の姿が原型だったらしい。
つまりどんな大天狗も、元はカラス天狗だったということなのだろう。

では、今の姿が、確定した理由としては、
一説によると足利八代将軍義政に仕えた狩野派の絵師 狩野元信が、
鞍馬山の僧正坊を描いた時「天狗の総帥」としての強さを強調するため、
正面に向き大きく金剛杖をついた、顔の赤い鼻高天狗にしたからだと伝わっている。

天狗と一言に言っても、赤い顔と高い鼻 背中に翼 山伏の姿 怪力で 神通力を持ち
大きな羽団扇、姿を消す蓑などを持つ 昔話では、悪役として君臨している者から
古くから神格化され森や山の精霊としての天狗も存在するのです。



情報が入り次第 改正 更新いたします。

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